2018/11/12

 社会の中に生きる私という人間が存在する。

 ここで重要なのは社会の中で生きているということである。義務を果たして共同体の中でやるべきことをやって生きている。とりあえず大学生である私は講義に行くべきである。講義に行かないにしても、勉強になる何かをすることが規範である。

 今は規範の中に収まっているが、そこから逸脱してしまうのは簡単である。大学に行かなければそれはもう規範の外にある大学生である。ぶっちゃけ単位が取れていれば卒業できるのだから、単位が取れればいいのだが、私は講義に行かずに単位を取るほどの器用さを持たない。またテスト前に泣きながら勉強するのも性に合わない。だから規範の中に収まっている必要がある。

 しかしながら、規範に収まっているといってもそこには危うさがある。おそらくだけど、一日でも意図的に大学に行かない日があれば、その後の日は全く大学に行かなくなるだろう。規範に収まる自分は砂上の楼閣のごとく、簡単に崩れ去ってしまう危険をはらむ。

 何が書きたかったかというと、何かに関して妥協をすると、ジェンガの下の方を抜くのに失敗したみたいに全部が崩れる、もう駄目、社会的死、ということなのだが、言葉遊びがうまくないので書けません。

 去年も妥協に妥協を重ねて勉強時間ゼロで授業も聞かない規範外受験生へと成り下がってしまった身であり、そこから規範に戻ることは叶わず、規範の中にいるひとたちはすごいなあ なんて思っていたから、規範の外には行っちゃ駄目。私のように心が弱い人が行くと本当に社会からドロップアウトしてしまう。社会からドロップアウトした方が幸せなのかもしれないけど、教育に金をかけられてきたこの身、簡単にドロップアウトさせていいのか?よくねーんだろうな~~~