2018/11/11

 鬱になるとやるべきこともせずに自分語りを始めたくなってしまうというのは治すことができず、別に治す必要もないし構わないか、という考えに至っている。後で読んでみると面白いし。黒歴史刻んでいるけど。

 今の鬱は季節云々ではなく、単純に病気をしているせいでしかないが。

 

 胃腸炎で何も食べられなかったから、生産的な活動が出来ない。そこで私が走ったのは受動的な娯楽であった。高3になった春に劇場まで足を伸ばして観に行った『夜は短し歩けよ乙女』と、中学生の時になんとなく見てしまった『四畳半神話体系』を見た。両者とも、原作は中学生の時に暗記するくらい読んでいたのだが、高校時代には他人に勧めることはあれど、自分ではめっきり読まなくなってしまった。

 私が京都大学に行きたいと思わせてしまったのはこの二つの作品なのであった。実を言うと、中学生にして「京大行きて~」と言っていたのである。しかし、私は地方の公立ヤンキー中学に通ってテニスを頑張っているだけの中学生だったから、「京大行きて~」と言うのは「宝くじあてて~」と言うのと同じような話なのであった。

 ところがどっこい、私は県内のトップ校呼ばわりされている高校に進学してしまい、シークレットブーツを履いて背伸びをすれば京都大学に手が届きそうになってしまった。一年生の時はみんなが東大志望みたいな学校だったから(現実を受け止めるとだんだんとその数は減っていく)、私は京大志望を名乗った。

 私の住む街が田舎過ぎて娯楽がなかったおかげで私は勉強くらいしかすることがなく、そのせいで成績を伸ばすことになる。進路を真剣に考えなくちゃいけない時にも、深く考えずに京都大学と書き、「なんで?」と聞かれると「憧れじゃないですか~京都」とヘラヘラしながらかわしていた。

 もはやこの時期になると、『四畳半』や『乙女』の具体的な内容を覚えておらず、なんとなく楽しいイメージを持っているだけであった。己が勝手に作り上げたイメージで京都を塗ったくっていたのだから、他の大学など志望候補に登るはずもない。滑り止めとして受けたのも同志社であったし。

 そしてなんか知らんが私は今京大に在籍しているらしい。

 

 『乙女』と『四畳半』を見て。内容を鮮明に思い出したけれど。

 『乙女』の方はまだ実感がない。そもそも主人公が恋しているのは後輩の黒髪の乙女だし、私は未成年だから飲み歩きたくてもできないし、NFはこれからだし、冬のパンデミックも同じだろう。地名が出てくると「あそこや~」ってなるのが面白かったけど。

 『四畳半』の方は見ていて辛かったというか、私もあんな感じのクソゴミ大学生に成り下がっているからやべえなと思えた。クソゴミ生活も楽しいからいいんですよ、でも何も残らんね。森見登美彦が書く世界に導かれて京大に来たのならああやって無駄に学生時代を送りに来たってことだからいいのかもしれないけど。

 

 大学生活はとりあえず無為でしかない。もっと真剣に将来を考える機会があれば、というかそういう機会はあったから、私がちゃんと将来を考える態度を取っていれば、ここにはこなかったであろう。法曹を目指して中央大学に行っていたかもしれない。(あそこには陶芸部があるよイエーイ!)

 諦観のおとこだから夢に向かって頑張る気になれない。そもそも俺は何になりたいんだ?という問いから逃げ出しながら毎日を無駄にしている。