本当に、クソ。

 自虐をする人間はクソです。これは自虐するために書いているのではない。変わらねえと駄目だなと思っている自分への説教のようなもの。

 大学に入ってからどう転んでもネガティブに至る思考は消えたと思う。これはいいこと。大学受験期みたいに自己肯定感ゼロの無気力人間であるなんてことはなくなって、破滅に魅せられるような危ない思想は消え去った。

 その代わりに目立ち始めたのが自虐である。「#生きるの下手界隈」から始まって、実際に日常生活でも使うようになってしまった。自分を卑下して相手を持ち上げる、ではなく、自分を卑下しないと相手を持ち上げることが出来ない。他人を純粋に持ち上げることが下手くそなのか。それもあるかもしれないが、もっと気持ちの悪い潜在的な理由があると思った。

 自分を卑下すると大抵の相手は「いやいや君はそんなことはない」という反応をするに決まっている。「よく分かってんじゃねえかお前はクソだよ」なんて言ってくる相手がいたら、まあ、引きこもりになるかもしれない。これ、相手が自分の卑下を否定してくれることを期待して、いいや、確信した上で自虐をしているということじゃないのか?これもよくSNS上の「私ブス(涙」と言いながら自撮りをアップする女と同じなんてことは誰にでも分かる。

 ここまで来るとどうあがいてもクソだよ。どうしようもない。変わるしかない。本当に、どうしてこうなったんだろうな。

 

 自虐はコミュ障をこじらせることにも繋がると思う。残念ながら俺は他人と会話をするのが上手くはない人間で、これは後期が始まってから再確認した。夏休みの間は好きな人と好きな話をして過ごしていたけれど、大学が始まると、特に語学のクラスで、あまり仲の良くない人と話したくもない話をしなければならない。ここでは自虐なんて使えないわけで、自分が普段の会話で自虐にずいぶんと頼っていることを実感した。

 仲の良い相手と会話を続けようとする努力は賞賛に値すると思うし、ずいぶん俺も変わったと思う。だけどこうして自分を卑下してでも会話を続ける必要なんてないんじゃないか?仲の良い相手だもの。沈黙さえも心地よい、そんな友人を持てばいいと思う。最近の俺は無理に会話をしようと強迫観念に囚われているような気もして、よろしくない。俺が不自然な発語をしていたら大抵は強迫観念に駆られているときだと思って貰って良いのかもしれない。

 

 自虐の本当にクソなところはまだまだあって、これはよく言っていることだけれど、他人への流れ弾がある。特に、ここでは赤の他人ではなく仲良くしているひとに対して、おれは大変失礼な態度をとっていると思う。

 「こんな俺と遊んでくれてありがとう」、とか、言葉の細かい枝葉までは忘れたが、こんなことを言ったとしよう。言われた側はどう思う? 自分が同類に思われていると思うんじゃないか? 「俺は陰の者だから」とか「オタクだし」とか、グチグチグチグチ言っている人間の同類だと、グチグチ言っている奴に思われている。不快に違いない。不快だよ。

 まあこれは彼女云々の話にもつながる話で、もし彼女が出来て「こんな俺と~」なんて言っていたら「自分で自分をクズとみなしている人間に、私は釣り合うと思われているってこと?癪だ」と彼女は言うよ。絶対。こうして12月、男二人でルミナリエ。いいや、彼は彼女が出来るに違いないから、男一人でルミナリエ。当然だよ。

 

 知り合い全員にごめんなさいという気持ちでいる。本当に。もえぎには厳しく接して欲しい。甘やかすんじゃない。自分に自信を持つようになるのはしばらく先になると思うけれど、厳しくしてくれ。「俺はクソ」とか言っていたら「そうだなお前はクソだよ、本当にクソだ。クソに失礼なくらいだ」とか言って。

 とりあえず、自分に自信を持てるように何かに打ち込もう。努力しなくなってから自己肯定感が下がっているのは明らかだから。語学をやるとか、陶芸に命を捧げるとか、まだ選択肢は多いのだから。


 追記、彼女欲しけりゃ変われ。「秋服がないよ〜」じゃない。そういうのをやめろ。切実にそう思う。髪型もそう。自分に合う髪型を美容師に相談するとか。清潔感を保てよ。外見は中身の一番外側とか言っていた人もいるのだから。変わろうや。本当に。