哲学の道で考えたこと

 銀閣寺周辺というと激コミなのに日本語の会話が聞こえない場所というイメージがあって、実際そうなのだけど、今日の哲学の道は静かだった。雨の予報が出ていたことも関係しているのかもしれない。ともかく、普段は哲学の道を歩くと何人もの外国人観光客とすれ違うのだけど、今日は少なかった。

 哲学の道、実は法然院までしか歩いたことがなかった。今日はもっと先まで行ってみようと思って足を運んでみた。哲学の道沿いの寺社を巡るつもりで歩いた。

 まず最初が法然院。ここは目の前を通過したことはあっても境内に入ったことはなかった。いや、目の前を通過するだけでも風情がある場所です、ここは。道路脇にある石垣に苔がびっしりついていて、その上には杉やらなんやらが鬱蒼としている。この前の台風のおかげで木はだいぶ折れていましたけれど。それでも風情のある場所。

 境内を目指すと。たまたま法然院の中の一角で備前焼の窯元さんが展示販売をしていた。別に詳しいわけじゃないけど、陶芸を始めてからは器を見るのが楽しくなったから観に行った。某デレラガールズの肇ちゃんが備前だったかな、と思い出したりもした。

 備前焼きは釉薬とか使わないで焼くだけ(何日も焼くとかなんとか)。そういうわけで均一な色が出ない、作品ごとに必ず違う色の出方になる。(らしいです)。実物を意識して見たのは初めてだったかもしれない。釉薬で派手派手しい色にしないから渋い(?)渋いというよりかは「民芸」の属性が強いというか。「手作りです!」というか。あたたかみのある感じ。安いやつあれば買おうと思ったんだけど、湯飲みですら張る値段だったので断念。

 アレやな。窯元の方いらっしゃったから話聞いてくればよかったのかもな。人とずーっと喋ってないから無理だった。コミュ障なのかもしれない。

 法然院を出て哲学の道に戻る。ここから先を歩くのは初めて。

 歩いていると右手側が民家ときどき店、左手側が山。右手側の店は喫茶店かハンドメイド作品が売っている感じの店、ギャラリー、といった感じ。焼き物の店もあった。思ったより楽しいじゃん。一人で来てもカポーで来ても。というかね、すれ違う人皆カポー。別れるなよ。

 

 日記を書きたいわけじゃない。考えたこと。

 まず、知識で人を殴れる語彙力大魔神になりたい。それを思ったのが備前焼見てから。

 前々から「せっかく陶芸始めたんだし肇ちゃんのお話は書きたいんだよなあ」と思っていたんです俺は。でもシンデレラガールズを触っていた頃はほぼ顔だけで推しを決めるというキモ=オタク君だったんです。田中琴葉の中身に惚れ込んで怪文書を書いたりSSを書くようになったキモ=オタクである現在の俺に言わせると「たわけが!!!」という感じ。そんな顔で推しを決めるようなオタクだったので、それなりに好きだったのにも関わらず肇ちゃんに関する知識が少ない。備前も今日初めて見たわけで。

 書きたい話があるなら勉強が必要ってことですね。「知識~語彙~欲しい~」と言っているだけでは何も始まらないので。

 

二個目。

 偏見とか不平等とかそういうのよくないよって思っていてもしちゃうのクソだな~という話。

 女装はドン引かれるのに男装は大丈夫みたいな風潮ある。(これは俺が男だからかもだけど)百合はTwitter上のTLに溢れているけど男色はあんまり。前者は別になんとも思わないけど後者はう~んと思ってしまう。

 女装と男装、百合と男色はそれぞれやっていることは本質的には同じわけで。どうして認識の仕方に差が出ちゃうかなあ。今日も俺は頭を抱えている。

 ただこういう認識の仕方に違いが出てしまうのは仕方がないわけで、思考回路を修正しろなんて無理。せめて他の人を気遣ったリアクションができるようにはしておかないといけない。

 

 

 

なんか他にもいろいろ考えていたんだけど忘れちゃった。思い出したら逐一書こう