題名『明治587年』冒頭を書こう①

 14世紀のヨーロッパでは人口増加、結果として穀物の供給が追いつかなくなり人々は慢性的な栄養失調に陥ったらしい。そして、そこにペストの流行が人々を襲う。体を弱らせていた人々はペストの毒牙にかけられていとも簡単に命を落とした。

 そんな14世紀の人々は自分がいつ死ぬかという緊張状態の中を生きた。そこで流行った絵画が『死者の舞踏』と呼ばれる絵画群であった。死神である骸骨と生者たちが手を取り合って踊っているというコミカルな絵画である。絵画の中では様々な階級の生者が描かれた。苦しい生活を送る農民から富める貴族、神と対話できる聖職者まで。これはどんな身分の者であろうと死からは逃れられないという当時の人々の認識を示していると言えよう。

 空腹と病気の苦痛に耐えながらも自分たち農民だけじゃない、領主も聖職者も同じようにして死ぬんだ、と当時の農民たちは自分たちを慰めていたのかもしれない。生きている間は不平等でも死は平等に訪れる。富めるアイツも、説教たれる坊さんも。

 

 そんな時代にぼくは想いを馳せる。

 権力者が死んだときは国が乱れなかったのだろうか。そして、聖職者が死んでしまったら彼が持っていた知識は皆失われてしまう。高名な聖職者は自らの得た教えを、わざわざ文書にして残したのだろうか。

 今となっては聖職者なんていないけれど、それは学者に置き換えられる。ノーベル賞を受賞するような有名な学者はみんな死なない。ぼくが生まれたずっと前から彼らは生きているらしい。偉い人は死なないのである。彼らは自分が蓄積してきた知識を利用して日々新しい研究に励んでいるそうだが、もし彼らが死んだらどうなるのだろうか。論文は残っても頭の中身を完全に残すことは不可能だ。科学にとっての大きな損失となるだろう。

 そして権力者も。欧米列強から日本を守った栄光を持つ明治天皇は今年で587歳になるらしい。彼の懐刀と言われる維新の率役者たちも同じくらいの年齢だ。日本を統治する天皇崩御し、補佐する彼らもみんな亡くなったら統治機構はどうなるのだろうか。形骸化した議会が機能するとも思えない。官僚制だから国の機能が停止することはないだろうけど、カリスマたちが消えると国にとっても大きな損害である。

 今のところ、伝説的な指導者と呼ばれている国のリーダーたちが急死した例はまだない。ソビエトのレーニン、トルコのケマル=アタテュルク、中華民国蒋介石アメリカではきちんと民主主義とやらが行われており、大統領は毎回違うようだが、選ばれる人々はやはり4、500歳の長老ばかりである。

 

 ぼくが持ちかけられたのは、そんなカリスマリーダーたちを暗殺するという依頼であった。