自転車をパンクさせる人の話

 フリーターの多上翔平は他人の不幸を見るのが好きだった。彼は親にはいじめられ、学校でもカーストに所属することすら許されない不可触民であった。幸せになる努力など無駄であると23にして知っていた。そんな彼がたどり着いたのは、他人の不幸を蜜にすることであった。不幸せな自分も、人が落ち込んでいる様子を見ると「ざまあみろ」と思ってマウントを取ることができた。

 そんな彼が最近思いついたのはチャリのタイヤをパンクさせることであった。それも、賢い大学、つまり育ちの良いお坊ちゃまお嬢様が集う場所に於いて。そんな大学が彼の住む家の近所にあったのである。温室育ちの奴らに突然の不幸を見舞ってやるのだ!計画を立てながら、彼はこれから見ることができるであろうリアクションに胸をときめかせた。

 そんな彼が目をつけたのは学食と部室棟(と呼ばれているらしい場所)の間に林立しているチャリ群であった。正規の自転車置き場でないのにも関わらず置く人は多く居るようだった。彼がここを選んだ一番のポイントとしては人通りが少ないことであった。ぱらぱらと人は通るが、人が通らない時間の方が長かった。

 場所が決まると彼は早速計画を実行に移す。かれはタイヤをパンクさせるだけではリアクションを見ることが出来ないと思い、パンクさせるだけでは飽き足らず、闇のルートから仕入れた超小型通信盗聴器を自転車に仕掛けることにした。この補聴器は廉価で、大量に仕入れることが出来た。多上は馬鹿だったから、仕組みはよく理解していなかった。

 彼は自転車の持ち主も見てチャリをパンクさせるかどうか決めた。持ち主の居ない、つまりリアクションを聴くことが期待できない放置自転車に盗聴器を仕掛けるのはナンセンスだったからである。さらに、彼は楽しそうに生きている人々を牙にかけたいと思っていたからである。いわゆる「ウェイ」のリアクションが見たかったのである。

 計画は何事もなく終了した。ただ、一気に多くの自転車をパンクさせるとさすがに不振だと思われると思ったから、一日に二台くらいに抑えることにした。

 彼は補聴器の受信範囲に隠れて持ち主が現れるのを待っていた。

 そしてその時がやってきた。

 足音、スタンドを上げる音。そして人の声。

 「ん?……スマーン、チャリパンクしちゃったみたいや」

 少しして自転車のチェーンの音が近づいてくる。

 「それはドンマイやなあ。歩きで行こか。……おーい、トモカとイノウエさん!タケシタがチャリパンクしちゃったらしいから歩きで行こうぜ!オッケー?」

 また二台、自転車が近づく音が聞こえてくる。女が笑いながら言う。

 「タケシタは日頃の行いが悪いからなあ」

 「んなこたぁねえって……まあいいや。すまんな俺のせいで歩きになっちゃって」

 「ま、気にしないこった」

 多上は会話を聴きながら涙を流していた。というのも、期待外れで自分が絶望した時の涙であった。タイヤをパンクさせられた学生は文句を言うこともなく、そして仲間の学生はそんな彼に合わせる。

 期待していたリアクションが見えなかっただけではなく、男女の会話を聴かされた多上は自分の惨めさに目を向けることとなった。俺は何をしているんだ、チャリのタイヤに画鋲を刺すなんて……見つかったら警察沙汰なんじゃないか?

 しかし多上は後に引かない男であった。不幸のリアクションが聞けるまで俺はやめないぞ、そう心に誓うことにした。多上は馬鹿だったから、自分の計画にも自信があったのである。

 

 十日ほど同じ事を続けた多上は疲弊していた。育ちの良い奴らはチャリのタイヤがパンクした程度じゃ悲しまないのか?と疑問に思う多上であったが、彼に最もダメージを加えていたのは仲間意識のある大学生の会話であった。

 先ほど見た会話のように、パンクした仲間のために自転車を押して飲食店まで行く大学生グループが思った以上に多く、孤独な多上はそういう会話を聞くと自分の惨めさに目を向けてしまうのであった。俺には友達と言えるような存在なんていない……多上にとっては認めがたい事実がのしかかった。

 また、性格が良い大学生たちの会話を聞いて多上は自己嫌悪に陥りかけていた。なんで奴らはパンクした仲間を置いていかないんだ?どうしてパンクしてしまった奴は怒らないんだ?……もしかして簡単に人を切り捨て、些細なことにも怒りを感じる俺の方がマイノリティーなのか?

 今日で終わりにしよう。多上は自己嫌悪を続けた結果そう思った。

 そして。

 足音とスタンドを上げる音が聞こえてきた。持ち主はパンクしていることに気づいたらしく、再び自転車を止める音が聞こえた。自転車を点検しているのか、しばらく人の気配らしい音が聞こえていたが、その音も突然途切れた。

 今日は不発か。もう終わりにしよう、と思って多上が帰路につこうとすると背後から声をかけられる。

 「お前か?俺のチャリに素敵なプレゼントをしてくれたクソ野郎は」

 多上は振り返ることもなく走り出そうとしたが、前には屈強な男、恐らく声の主の仲間が居た。屈強な男に捕まった多上は身の破滅を覚悟した。

 声の主はメガネのもやし大学生であった。遠目で見たときはウェイらしい格好だったのだが、近くで見ると陰の者やなあ、と呑気なことを多上は考える。

 「俺のママチャリにはなあ、ドライブレコーダーが付いてんのよ。よく電源を切り忘れるんだけど、今日も切り忘れてたわ。お前の顔もバッチシ写ってんの」

 多上は死を覚悟する。警察行きである。学校でも虐められっ子だった自分が刑務所に入ったら虐められそうだ。しかし親からは離れられるな。悪くないのかもしれない。

 「5万出せば許してやんよ。オラどーすんだ犯罪者」

 性格がいい人の会話ばかり聞いていた多上は、これまで優しさというものにさらされ続けて吐きそうになっていた。甘くておいしい生クリームを食べ過ぎると吐きそうになるのと同じである。吐きそうになっていた多上にとって、この恐喝大学生はよい口直しになってくれた。

 この世界にはちゃんと悪い奴もいる。多上は感激した。

 5万払った多上は今日も嫌がらせに励む。チャリパンクには懲りたようであるが。