深夜テンションで書いたトランスジェンダーとかそういう話

 新潮社の若者向け文芸誌yomyomで連載されていた坂木司の『女子的生活』は、トランスジェンダーの女の子二人(体はオトコ)の話(だったと思う)。片方は女になって女と愛し合いたい、本人曰くレズピアン。もう片方は女になって男と愛し合いたい。そんな二人。単行本が出たとき買おうと思ったのだけどまだ買っていない。どんな話だったのか内容は忘れてしまった。連載で読んだ話というのは記憶に残らない。

 また、同じ作者が新潮文庫nexから出版されている同棲アンソロジー『この部屋で君と』にも同じ題名、同じ登場人物が出てくる短編を寄稿している。つい先ほどそれを読んだ。好きな短編集だから繰り返し読んでいるのだが、読むたびに女装したさが高まる。

 女になりたいというのは人類が普遍的に抱える願望だと思っていたけれどそういうわけでもないらしい。昔と比べれば理解が広がって「そういう人なんだ」と思われるだけで済む場合もあるのだろうけど、陰で何を言われるかわからない。女装したがっているから好きなのは男、とかちゃうねん。そういうことを言われたらアイドルオタクでもあることをカミングアウトすればすべて解決する……わけじゃねえよ。そんな簡単な話じゃない。

 女の格好がしたいのは二人の姉妹に挟まれて生きてきたからかな、とかいろいろ考えてみるが考えるだけ無駄である。ヒラッッヒラしたスカートとか履いてゆるふわウェーブのかかったボブヘアーにしてみたいわけだ俺は。しかし俺の姉妹はお洒落をしない色気のない女ズだから、姉妹に影響されて女の格好をしたくなったわけじゃないのである。

 一人暮らしだし、女モノの服を買ってしまってもよいのかもしれない。セカンドストリートみたいな古着屋に行ってみるとか、店頭が恥ずかしいのならネットとか。女友達(と俺は思っている)も居るには居るので化粧を教わってもよいかもしれぬ。カミングアウトが無理そうならネットに女装情報ならゴロゴロしているしどうとでもなる。

 バイトして金を貯めたら本格的に着手したい。

 最後に、こうやって女装をためらっている俺自身こそが、無意識にもそういう人たちを貶めている。本当にそういう人たちに理解がある社会に生きていて自分も理解しているのなら、自分が女装するのにためらうことはないはずである。ためらってしまう俺にできることといえば、ためらうのをやめて一歩踏み出してしまうことか、一歩踏み出した人々の姿勢を称賛することくらい。

 誰もが好きな格好ができる、そんな社会になって欲しいよ俺は。