何が足りないの

 

 

 アイドルヒーローズの原稿を捨てた。供養した。一万文字を供養もせずに捨てるのはもったいないと思ってのこと。実はあれのもとになった原稿があって、あれも内容が被っている部分があるとはいえ一万文字(この記事の最後に載せてある)。合計二万文字。もったいねえよ。どうして完成に持って行かないんだよ。

 理由は明らかで、何を書きたいのが具体的に決めきってしまうまえに書き始めるから。今回も、何を書きたいか決めてあったところまでしか書けなかったよ結局。冒頭に何書くか決まったから書き始めるんじゃなくて、一通り話を考えきってから書きたい。

 あとは理論。せっかく書くんだから勉強して書きたい。本を読まない人間になりつつあるのが悪くて、読もうね。読もうよ。読め。君は自分で思っているよりは頭の悪い人間だ。本を読んでください。

 本読んで何を書きたいのか決まるまではもう書かん。思いつきで書けるPドルは書くかもしれないけど。

 

 

 

 

 

 

 

自分の生きる世界に不満を持つ二人の文学少女がいた。

 世界に絶望した片方は、自分で自分の身を破滅させようとした。そしてもう片方は自分がトップに立つことで世界を変えようとした。

 

  • ☆ ☆

 

「ねえ琴葉。この社交性は何?」

 帰宅するや否や、成績が書かれた忌々しい紙を持った母に怒鳴りつけられる。私があんまりにも成績表を親に渡さなかったために、直接家に郵送されるようになってから二ヶ月。ポストの前に張り付いていたのも徒労に終わったことを悟る。私は母をにらみつけてひと言だけ返事する。

 「うるさい」

 母がため息をつくのを後ろに聞きながら階段を上がり自分の部屋に逃げ込む。しばらくして母も階段を上がってくる音が聞こえたから、ドアにつっかえ棒をしておく。残念ながら鍵なんてない。

 母は私の部屋に入ろうとドアをがたがた言わせるが、もちろん開かない。怒鳴りながら「開けろ!」とわめいているなら普段通りだけど、今日はやけに何も言わない。私は床に荷物を投げ出してベッドに横になる。がたがた言っているドアを見つめてみる。

 社交性は数値で表せるものなのか?会ったこともない、私のひいひいおばあちゃんに聞いたら「無理無理」と言われることだろう。でもおばあちゃんに尋ねたら「できるよ」と答える。「社交性を含めた『人間性』は重要な数値だよ」とも言う。現に言っていた。

 私の人間性はクラスで一番、いやもしかしたら日本中で一番悪いかもしれない。

 この人間性という数値は、就職なんかにも直接影響を与える。そんなわけで、私たち人間は――少なくとも政府管轄下の人間は――人間性を高めることに努める。私たちの学校内での行動は逐一観察されていて、担当する省庁のひとが一人一人にポイントをつけていくらしい。

 他のみんなが少なくとも学校内だけでは善い人間であろうとしているのに、私は何も気にせずに過ごしている。そもそも「人間性が高い」というのは社交的で、他人に気を配れて、教室の隅で本を読まない人間のことらしい。今と真逆の行動を取れば人間性が高い人になれるわけだ。

 馬鹿馬鹿しい。

 ひとりで本を読んでいる私を不憫に思って、私に話しかけてくる奴もいる。もちろん奴らは「他人に気を配れる人間」を演じているだけだ。そもそも、どうして一人で居たい人間を一人にしておかないのか。まあ、奴らが悪いのではない。「人間性」をはじき出す基準を定めた政府が悪い。奴らは政府が定めた基準に沿うように行動しているだけだ。

 母がドアをがたつかせるのをやめて、ドアの向こう側から母の気配が消えるのを感じる。

 本でも読もうかな、と思ってかばんの中からブックリーダーを取り出す。今読んでいるのは、100年くらい前の学者の本。本は大昔、紙に印刷されていたという内容の本で、紙に印刷されていた本ならではのエピソードが様々に解説してある。紙だから簡単に燃えてしまうし、そのおかげで貴重な資料が失われる場合があった、とかそういうエピソードだ。

 まだ紙の本があったような時代に生まれていれば「ねえ琴葉。この社交性は何?」なんて、親に言われることはなかったんだろうな。

 

  • ☆ ☆

 本を読んでいる間に寝てしまったらしい。寝落ちてしまったとき特有の、記憶を無くしたような気分に襲われる。時間は……午前三時。そういえば母に怒られたんだっけ。苦々しい気分が蘇る。

 こんな時間だし母も眠ってしまったことだろう。そう思って部屋から出てみる気になる。シャワーくらいは浴びたい気分だし。夏が迫りつつあるこの季節、シャワーも浴びずに次の日を迎えるのは金のないホームレスくらいのものだ。

 着替えを持って部屋を出ようとするとドアの前に紙切れが落ちているのに気づく。私の部屋はお世辞にも綺麗とは言えなくて、ものがよく落ちているけれど、この紙切れは記憶にない。そもそも紙なんて珍しい。あんな高いものを買う人なんて今となっては珍しいから。

 拾い上げてみると「琴葉へ」と下手くそな手で書いてある。自分の手で文字を書くことに慣れている人はもはやいないから、誰に書かせてもこういう、汚い字になる。らしい。さっき読んでいた学者の本に書いてあった。

 紙切れかと思ったが、畳まれた一枚の紙だった。片手じゃ開けないと分かり、着替えを地面に置いて開こうと試みる。

 ホンモノの紙を触るのは生まれてから数回目のことだ。それくらいに、今では誰も使わない。またまた、さっきの学者の本で読んだことだけど「ペーパーレス化」というものが進められたらしい。何でも、日常生活で使う紙を減らそうと言うものだ。紙が大量に使われていたことが驚きだけど、コンピューターで作成した文書をわざわざ印刷していたらしい。共有すれば済むものを。

 そんなことはどうでもよくて、今はこの紙。どうせ母が残したものであることは分かっている。なんとか上手い力加減を見つけて紙を開く。

 「琴葉へ」の文字と同じく、慣れない手で綴られていた。

 

  どうしてうちにこんな紙があるのかはまた後でおしえるわ。

  普段使っているチャットとかだと政府のケンエツに引っかかりかねないから紙を使うの。どうか、さいごまで読んで欲しい。

  こういうことを自分の子供に聞くのはぜったいに間違っているっていうのは分かっているんだけど、どうしてあなたはそんな子に育ってしまったの。いいや。ごめんね。私が 育てたのよね。シングルマザーである私が悪いの。

  ひとつだけ知っておいて欲しいことがあって。これは大事なこと。あまりにも人間性の数値が低いと、政府が他のところへ連れて行っちゃう。幼い子供にするような「悪い子はおばけに連れて行かれる」みたいな話じゃなくて、本当に。私は琴葉が連れて行かれるのに耐えられないわ。

 学校に、とつぜん転校してしまった子とか居なかった?あなたからは学校の話はあんまり聞いていないから……もし居たとしたら、その子は政府に目をつけられて「精神病」って認定されてしまったに違いないの。強制的に連れて行かれてしまう。

  だから、琴葉。あなたがどんな本を読もうが、どんなに友達が嫌いであろうが構わないの。あなたの価値観に文句は言わない。でも、政府に目をつけられるのはやめて。せめて、学校の中では社会適合者らしく振る舞って欲しい。お父さんだけじゃなくてあなたまでうばわれるのは耐えられないから。

 

  ごはんは作ってあるから、チンして食べてね。

 

 これは横書きで綴られていたが、紙の下の方がしわになっていた。紙は濡れて、また乾かすとしわになるという。いくら鈍い私でも、母が泣きながらこれをしたためたことは容易に想像がついた。

 私はこの紙――手紙といえばよいのだろうか――を大事に、机の引き出しにしまっておくことにした。床に置いておいた着替えを持って自分の部屋を後にする。母への怒りはおさまったけれど、考えなければならないことがたくさんある。

  • ☆ ☆

 誤解を招いていそうだが、私と母の関係は極めて良好だった。成績に関する話をする場合を除けば、だが。私が悪い成績を持ち帰ると必ず怒るのだった。そのうちに私は成績を母に見せなくなる。

 母は寛容だ。私がブックリーダーで読んでいる本がどんな本なのか知っていても、決してやめさせることはない。私が読んでいるのは、もう使われていない古きインターネット上にアップロードされている書籍。現在の書籍と本質的には変わらない。違う点と言えば、インターネット上からダウンロードする、という点だけだ。しかしもちろん、違法。

 娘の違法行為に目をつむるのに、社会性成績にだけは敏感。なんとなく、今回の手紙のおかげでなぜなのか分かった気がする。また「お父さんだけでなく」という文面からも、自分の父が政府により奪われたことが分かる。

★ ★ ★

成績優秀者の中に自分の名前を探す。ここに載らなかったことはないけれど、やっぱりこうして探す瞬間のドキドキには慣れない。……あった!「七尾百合子」の五文字が。ないわけがない、なんて思っちゃいけない。傲慢になった瞬間に身を滅ぼすものだから。

「まーた載ってるんだから百合子ったら」

そんな言葉とともに、後ろから両肩に手を乗せられる。私は振り返る。

「ロコぉ。ほっとしたよ」

ロコは私の友人で、唯一腹を割って話せる友達、と言ってもいいくらい仲が良い。どんなに社交性が高くて、友人のように見えるクラスメイトがたくさんいたとしても、親友はロコくらいだ。

「ま、コングラチュレーションです」

私のことを自分自身のことのように喜んでくれる。

「ありがとう。ロコも学業の方で優秀者に載れてたじゃん。コングラチュレーション」

ロコは不意打ちを食らったように、戸惑い気味だ。自分にも祝われるべき点があるのに私の心配ばかりしてくれて。本当に良い友達だ。

「サンキューです百合子。でも百合子は学業の方も載ってたんでしょう?」

もっちろん、と私は答える。

「将来は国を動かす女だからね」

  • ★ ★

 学校以外では、人間性の数値が高い私も普通の人間だ――普通というのは、気配りもそんなにできないし、友達もロコくらいしかいないということだ。校内と校外で二重人格を使い分けている人間は多い。何が言いたいかというと、こういうことをしているのは私だけじゃないということだ。

 放課後は大体ロコと遊んでいるけれど、遊ばないときはすぐに家に帰る。帰って本を読むのが日課だ。教科書リーダーとして配布されているブックリーダーと瓜二つのブックリーダーを購入してあるから、親に見つかっても「勉強してたの」と言い逃れることができる。

 ここ、読書に関して、私の秘密がある。

 誰も指摘しないことだけど、出版はおそらく政府の統制下に置かれている。だから、まあ、なんというか、合法的な手段で手に入る本はつまらないものが多い。

 おもしろい本を求めて私がたどり着いたもの。それはエストニアという国家の残党が管理する電子書籍のプラットフォーム、今は使われなくなったインターネット。インターネットというのは、旧式の架空世界とでも言ったらいいのだろうか。現在の架空世界が普及すると同時に消えていったものらしい。

 そしてどうしてエストニアなのか。私も詳しくはないけれど、インターネット上に電子国家を作り出すような技術先進国だったらしい。今じゃ当たり前になっている架空世界上の住民票、架空世界内で投票できる選挙、私たちが当然だと思っているもののほとんどが、この国家から始まったそうだ。

 逆に、インターネットの最先端を行く代わりに架空世界の波には乗り遅れた。いつまでもインターネットにこだわったエストニアは衰退し、国ごとロシアに買収された。ロシアはユーラシア連邦の中心になろうと策を練っている。連邦が組織される前にソ連時代の領土を取り戻し、当時の影響力も取り戻したかったようだ。ロシアに反感を持つエンジニアたちは地下組織〈エルミタージュ〉を作り、インターネットの管理をする。

 この辺の情報は〈エルミタージュ〉のサイトを斜め読みした時の記憶をたどっているだけだから自信はないけれど、こんなところだ。私は〈エルミタージュ〉のカスタマーで、彼らのインターネット上から電子書籍をダウンロードして読んでいる。優等生にだって一つや二つ、人に話せない秘密がある。

  • ★ ★

 私が「将来国を動かす女」を自称しているのには理由があって、それは非常に簡単な理由だ。この停滞した世界を変えたいのだ。

 今の世界はとても安定している。たまにテロが起きて、完全な平和というわけではないけれど、安定はしている。悪く言うと停滞だ。政府が停滞するように国民を管理している。

 社交性という数値もその一環だ。昔は行動が予測できないタイプの人間を「精神病」として認定していたようだが、今は社会になじめない人も「精神病」だ。社会になじめない人は犯罪を犯しやすいとか、孤独死するとかいうデータを並べ立てて、強行的にことばの定義を変更したらしい。

 社会性の評価基準は曖昧だ。結局は、政府にとって不都合な人間に「精神病」というレッテルを貼り、癲狂院にぶっこんでおくためのものでしかない。

 直感的にだけど「間違っている」と思う。だから私がトップに立って世界を変える。そのために優等生ぶって生きている。

  • ☆ ☆

 あの手紙を読んで以降、私は学校内で本を読むのをやめた。

 一晩で性格が豹変するなんて気色が悪いけれど、みんなは「きめえな」とは言わない。学内でそんなことを言ったら数値にマイナスを加えられる。過去の私なんて居なかったかのように私に接する。

 社会に適合している人間を一ヶ月くらい続けた。一ヶ月が限界だった。もうこれ以上は続けられない。学校に行くフリをして河原でぼーっとするのが日課になった。

 バレないはずがない。すぐにバレて、母は学校に呼び出された。

 何を言われたのか分からないけれど、帰ってきてから母は一晩中泣いていた。もしかしたら「政府が琴葉を強制的に病院に入れる」という脅しを受けたのかもしれなかった。母が泣いているのを見ても私は学校に行く気にはならなかった。自分を「演じる」のが苦痛で仕方ないのだ。

 次の日、朝起きるとまた、母が真剣な顔で私を呼ぶ。

 「大事な話があるの」

 どうせ暇な私は母の「大事な話」を聞くことにする。ダイニングテーブルを挟んで私と母は向き合う。

 「その……政府に強制的に連れて行かれる話をしたでしょう?琴葉が一生懸命、そうならないようにやってみたのは知ってる。疲れちゃったのも」

 私は机から目線を上に上げずに答える。

 「そうだね」

 「でも、このまま不登校だと間違いなく精神病院行きなの。学校の先生が言ってたのだけれど。でも、それを防ぐ方法が一つだけあって、」

 話を遮る。

 「予備院。いやだよ」

 予備院。それは建前上はすばらしい施設だ。社会からドロップアウトしそうな人たちの社会復帰を応援する施設。でも実情はそうじゃないらしい。名前が違うだけで、精神病院と同じ。

 母はため息をつく。

 「明日、お迎えに来るそうよ。琴葉と離れるのは嫌だけど、一時的なものだから。がんばって社会復帰できるようにサポートしてもらってね」

 一時的じゃないんだよ。

 きっと先生に言われて契約してきてしまったのだろう。いまさら母に説明しても無駄だ。どうせまた喧嘩になってしまうに違いない。今の私は喧嘩する元気もない。

 「準備しておくよ」

 私はあたかも予備院に行くことを了解したかのように言って、ダイニングを離れて自分の部屋に戻る。あんな所には行きたくない。ならばどうするのが正解か。私は家出少女としてあてもなくさまよってみることにした。

  • ☆ ☆

 必要なものを持って真夜中、家から忍び出る。左手につけたライブラリアン、リュックサックに詰めた少しの着替え。ブックリーダー。なけなしの小遣い。どうせ捕まることは分かっている逃避行。ライブラリアンをつけなければ捕まらずには済むかもしれないけれど、サービスを受けたり買い物をするにはこれがないとだめだ。

 ライブラリアンにはe-IDが埋め込まれていて、これで個人認証をする。ピッとかざすだけ。何も意識せずに生きてきたけれど、こんな時にその存在を強く感じることになろうとは。

 e-IDの偽造が可能であればこの逃避行も成功するのだけれど。

 冷たい夜風を感じながら真夜中の河原道を歩く。風に吹かれて頭が冴えてきたのか、偽造IDのツテになりそうなものを思いつく。

 〈エルミタージュ〉。ないし、彼らが守り続けるインターネット世界。

 確かインターネット世界は、書籍のプラットフォームであるだけじゃない。昔は、現在の架空世界と同じく離れた人とコンタクトを取る手段として用いられたらしい。もっとも、架空世界とは違って基本的には文字のやりとりが主流だったようだけど。本の感想を文字だけでやりとりしたことがある。

 早速アクセスしてみよう。

 しばらく歩いて、公園を見つける。ベンチがあるはず。街頭の下にあるベンチを見つけて座る。ブックリーダーを取り出して〈エルミタージュ〉にアクセス。本の感想を語らうのに使ったサイト――昔はSNSと言ったらしい――を開く。

 ここでは多種多様な言語が見られるが、翻訳機能が充実しているために言語の障壁は存在しないものとしてよい。機械による翻訳が完璧なものとなったのは、つい最近のことらしい。人と話す、ボトムアップ学習型AIでサンプリングしたデータをもとに完成したそうだ。この翻訳機械の完成は学校で教わる。

 私はメッセージを投稿してみる。

 〈急募。e-IDの偽造方法〉

 一瞬で世界各地の諸言語に翻訳される。されているのだろう。このサイトの使用者数は思った以上に多い。百億の全人類のうち、一億は使っている。まあ、インターネットが秘密の存在とされているにしては多い。

 〈Peatage see ära〉

 何語だろう?と思う暇もなく訳が表示される。

 〈やめときな〉

 こういう反応は待っていない。でも、他の反応があるまで構っていてもらおうと思って私は返信を送ってみる。

 〈なぜ〉

 しばらくして、あちらも返信をしてくる。

 〈Kui see saab selgeks, läheb see põrgusse.〉

 〈バレたら地獄行きだ〉

 地獄。もちろんオカルティックな意味の地獄じゃなくて、生き地獄つまり精神病院行きってことだ。多分だけど。でも、私はどのみちそこへ送り込まれる運命なのだ。少しでも逃避行の期間を延ばすためには。

 〈いいわ。やり方を教えてよ〉

 すぐに返信がくる。

 〈Ma ei tea〉

 短い一文。

 〈俺はしらねえ〉

 は、といらつきを覚えてしまう。知っているような口ぶりで話して……と思ったけれど、彼は知っているなんて一言も言っていない。文章上だけのやりとりだと、自分の思い通りにいかない。架空世界上だと顔と顔をつきあわせているから、食い違うことはないのだけど。

 〈そう。ありがとう〉

 彼との会話は終わり。

 私はさらに情報を求めて、再び推敲した上でメッセージを投稿する。

 〈私はこのままだと精神病院にぶっ込まれる身なの。だから今は逃避行をしようと思ってる。そのためには偽造e-IDが必要。結局どの道を選んでも私は精神病院に行くの。だから、偽造IDを作った上で、何か大きいことをしようと思ってる。こんな世界、生きているだけ損だから。そんな私にだったら偽造IDをくれるっていう人は是非教えて欲しい〉

 何度か読み返して送信ボタンに触れる。

 これが私の本心なのだ。

 すぐに返信が来るという期待もしていなかった。返信を待つついでに、しばらく身を隠す場所を探そう。とは言っても、そんな場所は存在しないに等しい。ふと思い立って、もう一つメッセージ〈逃避行に安全な施設・地形〉と送っておく。

 夜が明けるまでは川を遡ってみよう。

 私は歩きながら考える。別に、食事だけなんとかすれば外で寝泊まりしても問題ない。昔の小説では夜が危険、という描写がたくさんあったけれど、現在はそうでもない。というのも、ライブラリアンのおかげで犯罪者が減ったから。そもそも犯罪を犯しそうな人間はみんな精神病院の塀の中にいる。

 今の季節からして、雨をしのぐ場所があればいいだろう。

 なんだか簡単そうに聞こえたけれど、簡単じゃなかった。橋の下は雨が降ったときに危ない。増水したら流される。レストランは悪くない……大衆向けの安い店は、ロボットが対応してくれるからハードルは低い。でも、IDが必要だ。母が私の捜索を依頼した瞬間、私がそのレストランを使用したことがバレる。

 なんだかなあ。まったく息苦しい社会だ。

 IDを使わずに使用できる屋根。一つ思い当たるものがあった。ホテルのロビー。ホテルの玄関もオートロックだから、誰かが入る瞬間に会わせて何食わぬ顔で入らなくてはならない。夜中は飲みに行ったビジネスマンが帰ってくる時間帯だから、今からホテル街に急げば間に合うかもしれない。

  • ☆ ☆

 ロビーに侵入するのは極めて簡単だった。

 道路に倒れていた酔っぱらい、めちゃくちゃくさかったけど。介抱するフリをして彼のホテルまで連れて行き、部屋に押し込んできた。くさかった。私はロビーのよさげなソファで眠りについた。四時間くらい寝て、さっさとここを出よう。

 寝る前に〈エルミタージュ〉にアクセスしたけれど、まだ有用な返信は来ていなかった。まあ、タイムゾーンというものがある。これから活動を開始する国々の人に期待をかけて私は眠りに落ちた。

  • ★ ★

 「ロコ~。それじゃあ、おやすみなさい」

 私はロコに手を振る。ロコは作業の手を止めて返事をよこす。

 「遅くまで付き合わせちゃってごめんね。グッドナイトです。また明日学校で会いましょう」

 私は仮想空間からログアウトする。

 現在使われている仮想空間も、自分がいる場所によって機能を選べる。音声だけ、顔のホログラフだけ、全身ホログラフ、というように。今私が使っていたのは全身+周辺。自分の部屋とか、そういうプライベートな空間どうしで使うものだ。私がロコの部屋にあたかもそんざいするかのような状況だった。

 こうやって、離れた人と面と向かってどこでも話せるというのは便利だ。でもたまに、心の内を、知らない誰かに匿名で吐き出したくなることがある。現在の仮想空間はそういうことには向いていない。

 私はブックリーダーを取り出して〈エルミタージュ〉にアクセスする。

 〈エルミタージュ〉は違法書籍プラットフォームであるだけじゃない。過去の遺物インターネットの機能を全て兼ね備えている。私は心の闇を吐き出したいときにはインターネット上の匿名サイトを利用する。

 Lilynight.これが私のインターネット上での名前。本の感想を語らいたいとき、何か思ったことがあったら文章に起こして投稿している。最近完成した、高機能翻訳アプリのおかげで、全世界と繋がれる。

 現実の人間を疎んで、知らない人との繋がりを求めるというのは変な話だ。でも、これは昔からあることなのだろう。飲み屋で会った知らない奴に秘密をしゃべってしまうとか、小説であるあるだから。

 なんとなく、他人の投稿した文章を眺めてみる。一つ、話題になっている投稿があって私の目にもとどまった。

 〈私はこのままだと精神病院にぶっ込まれる身なの。だから今は逃避行をしようと思ってる。そのためには偽造e-IDが必要。結局どの道を選んでも私は精神病院に行くの。だから、偽造IDを作った上で、何か大きいことをしようと思ってる。こんな世界、生きているだけ損だから。そんな私にだったら偽造IDをくれるっていう人は是非教えて欲しい〉

 様々な反応があるようだ。投稿時間は昨日の夜中。コメントを見てみる。〈だからやめとけって〉〈経験者として忠告しておくわ。バレたときの対価は恐ろしく大きいけれど、得られるものも大きい。あなたみたいに自分の身をなんとも思っていない子だったら教えてあげてもいいかも。ダイレクトチャットに来てくれれば話せるわ〉〈マジ!?やったことある奴いるんか……〉〈釣りだ釣り。やめとけ嬢ちゃん〉

 いろんな人がいるものだ。話題の投稿者はストロベリーホワイトチョコレート。長い名前だ。女の子かもしれないなあ、現に嬢ちゃんとか言われてるし。まあ、日本語じゃない言語からの翻訳だから、日本語の嬢ちゃんとは異なるニュアンスなのだろうけど。

 命を賭して大きいことを企む少女。フランス革命の時のシャルロット・コルデーという少女のことを思い出す。ジロンド派を支持した彼女はジャコバンのマラーを暗殺した。ジャコバンに掌握されたクソみたいな社会を変えたかったらしい。でも彼女の暗殺はあまり意味がなかったらしい。なんでも、当時マラーはそこまで権力を握っていなかったから。ダントンだか、他の誰かを殺すべきだった。

 「暗殺の天使」と呼ばれた彼女は社会を変えることが出来なかった。しかし法廷では自らの正しさを最後まで主張した。

 この子、ストロベリーホワイトチョコレートさんは世界を変えうるのか。自分が正しいと思っているからこういうことをする。革命でも起こすつもりなんだろうか。

 政府の上に立って世界を変える、という野望を持つ私とは大きな差がある。もしも、現実で出会えていたら仲良くなれていたかもしれない。シンパシーを感じる人間同士は惹かれ合うものだから。

 〈現在のシャルロット・コルデーさん。健闘を祈る〉

 私もメッセージを送ってしまった。成功しないだろうな、とは思うけれど、彼女みたいな人間はみんな応援している。自分もやる! と言い出せない私は社会に飼い慣らされているな、と思いながら。

 

 何か投稿しようと思っていたメッセージがあったのに、忘れてしまった。私はブックリーダーを閉じてベッドに潜った。

  • ☆ ☆

 今日一日は徒歩でぶらついていた。しかし、思った以上に昼間の女子高生というのは目立つ。制服しか持ってこなかったのが悪い。自ら「女子高生」というアイコンをオモテに出している。馬鹿だ。

 道行く人にじろじろ見られている気がするけれど、自意識か。もう既に母は捜索願を出しているに違いないから、目立ってはいけない。目立たない格好にならないといけない。

 悩んだ末、私は量販店ブランドの安い服を買うことにした。A la modeな装いを、安く。みんながみんなこのブランドを使うから、これを着ていれば目立たない。

 だぼついたワイドパンツに、襟元にフリフリがついたオフショルダー。これでゆるふわ森ガール、と思ったけれど目つきが悪くてダメだ。少なくとも、身なりだけ目立たなければいい。これでいい。

 そしてレジに進もうとすると同時に気づく。IDが要る。しかもIDを調べたら、私がどんな服を買ったか分かるから、変装した意味がなくなる。

 浅はかだ。レジに進まなくてよかったと思いながら、かごの中身をもとあったところに戻した。そもそも制服で白昼堂々服を買いに来る女子高生なんて、目立ちすぎもいいところだ。もう少し計劃を建ててから行動しよう。

 結局服を買わずに、昼間は目立たない河原で本を読んで過ごした。危機感がない。ブックリーダーの方を確認しても、有用な情報は入ってこなかった。くだらないコメントばかりがつけられている。

 河原というのは場所を選べばまったく人が来ない。虫を気にしなければずっと居られる。本を読むのに飽きた私は〈エルミタージュ〉を使って情報を集めてみる。逃避行、という言葉で検索をかけてみる。「IDがある現在では自給自足でもしない限りはむりだね」とか、そんなものばかりだ。

 仮想空間にアクセスすればもっと情報収集がはかどるのだろうけど、母からのコンタクトを無視し続けているし、アクセスしたら居場所も明らかになる。仮想空間も私を縛り付けていたのだなあという実感と、便利なものなんだなあという実感と。普段使うものが使えないと困る。

 そういうわけで、多少不便でも〈エルミタージュ〉のインターネットに頼らなければならない。検索エンジンという不便なものを利用して、どこまで有用な情報を探すことが出来るか。昔の人は上手くやっていたんだろう。

 夜になるまで私は検索エンジンに単語を打ち込んで情報を探し続けた。

  • ☆ ☆

 夜になって人通りが少なくなったから、場所を移動してみる。地図もインターネット上で見られるらしい。仮想空間のナビゲーションと違って、自分で道を判断しなければならないから面倒だ。