ウェイを見習え

 自分の思考を文章化することは「自己をコミットすること」だそうです。高坂正堯先生が『国際政治』の序章で言っていました。国際政治に関する内容よりもこっちを覚えている。政治に対する興味さえも失ってきていて、今の学部でやっていけるのか心配である。

 話を逸らすな。今回は自己をコミットしたくて書き始めた。生まれてきてからずっとないものねだりばかりしていて自分に腹が立つという話。

 直近の出来事だと、受験の時期に「英語飽きたからはやくフランス語やりたい」と言っていたくせにフランス語を学べるようになった現在は全く勉強していない。しかも「法学部なんか来ないで外語大行けば良かった。法律おもんない 政治も」などと言い出す始末。フランス語と英語を真剣に勉強している人が外語大に行けば良かったと言うのはまだ理解可能だが、怠惰な私がそういうことを言っても「あいつべんきょうしたくないだけやん」と思われるだけだ。

 ないものをねだっていないで、自分が現在置かれている環境を最大限に活用して最大限に現在を楽しむべき。ウェイみたいに。いや彼らみたいに現在しか考えないのは駄目だけど、自分が置かれた環境を最大限に利用すれば苦しいだけの現在も楽しく思えるようになるでしょう、という話。

過去は常に美しく、未来も同様なのだ。ただ現在だけが人を傷つけ、過去と未来、平和に満ちた二つの時間に挟まれて、苦悩の腫れ物のように常に自分につきまとい、ぼくたちはそれと共に歩くのだった。

ミシェル・ウェルベック服従

  こうやって考える人間、これに共感してしまう人間は人生を損しているのだろうなと強く感じる。デカダンが書いた文章ばかり読んでいた私にとっては、自明な事実にしか思えなかったけれどおそらく共感しない人間も存在するはずだし、そんな彼もしくは彼女は楽しい人生を送っているはずである。

 認めたくないことだが、ものは受け取りようである。鬱々としている時には何を見ても鬱々しているし、楽しいときには箸が落ちても笑う。いかにして楽しい自分を維持するか、というのが問題だが自分の感情をコントロールするのは不可能。

 鬱々としている時には「そのうちまた楽しい気分に戻れる」と考えることで早まった行動をしないように我慢すればいいんじゃねえの。