2018/11/14

 家に居るとお腹は痛いし、うんこはもりもり出るし、よう分からん。家から出たくないという精神的な胃腸炎なのかもしれない。別にそこまで大学が嫌いなわけではないし、むしろNFに向けて陶芸をしたいのだが……

 やる気が出ない人に対して「とりあえず手を動かせ」という人がいる。あながち間違ってはいないのだけど、手を動かすまでにも多大な労力が必要で、たいていの場合私はそれを用意できない。「とりあえず手を動かすためのやる気はどこから!」というのはネット上でもしょっちゅう叫ばれている問いである。

 答えは難しいことではなく、ルーティンワークなのだと思う。とりあえずその作業をするような習慣を作っておく。冷たい水に触ったりする面倒な作業である陶芸を、なぜ私は毎日やるのかと問われると、習慣化されているから、という答え以外を得ることが出来ない。何かを為したいならそれに向かって何かを習慣化すればよいのだろうなあ。

 空きコマに勉強でもするべきだなー。

2018/11/12

 社会の中に生きる私という人間が存在する。

 ここで重要なのは社会の中で生きているということである。義務を果たして共同体の中でやるべきことをやって生きている。とりあえず大学生である私は講義に行くべきである。講義に行かないにしても、勉強になる何かをすることが規範である。

 今は規範の中に収まっているが、そこから逸脱してしまうのは簡単である。大学に行かなければそれはもう規範の外にある大学生である。ぶっちゃけ単位が取れていれば卒業できるのだから、単位が取れればいいのだが、私は講義に行かずに単位を取るほどの器用さを持たない。またテスト前に泣きながら勉強するのも性に合わない。だから規範の中に収まっている必要がある。

 しかしながら、規範に収まっているといってもそこには危うさがある。おそらくだけど、一日でも意図的に大学に行かない日があれば、その後の日は全く大学に行かなくなるだろう。規範に収まる自分は砂上の楼閣のごとく、簡単に崩れ去ってしまう危険をはらむ。

 何が書きたかったかというと、何かに関して妥協をすると、ジェンガの下の方を抜くのに失敗したみたいに全部が崩れる、もう駄目、社会的死、ということなのだが、言葉遊びがうまくないので書けません。

 去年も妥協に妥協を重ねて勉強時間ゼロで授業も聞かない規範外受験生へと成り下がってしまった身であり、そこから規範に戻ることは叶わず、規範の中にいるひとたちはすごいなあ なんて思っていたから、規範の外には行っちゃ駄目。私のように心が弱い人が行くと本当に社会からドロップアウトしてしまう。社会からドロップアウトした方が幸せなのかもしれないけど、教育に金をかけられてきたこの身、簡単にドロップアウトさせていいのか?よくねーんだろうな~~~

2018/11/11

 鬱になるとやるべきこともせずに自分語りを始めたくなってしまうというのは治すことができず、別に治す必要もないし構わないか、という考えに至っている。後で読んでみると面白いし。黒歴史刻んでいるけど。

 今の鬱は季節云々ではなく、単純に病気をしているせいでしかないが。

 

 胃腸炎で何も食べられなかったから、生産的な活動が出来ない。そこで私が走ったのは受動的な娯楽であった。高3になった春に劇場まで足を伸ばして観に行った『夜は短し歩けよ乙女』と、中学生の時になんとなく見てしまった『四畳半神話体系』を見た。両者とも、原作は中学生の時に暗記するくらい読んでいたのだが、高校時代には他人に勧めることはあれど、自分ではめっきり読まなくなってしまった。

 私が京都大学に行きたいと思わせてしまったのはこの二つの作品なのであった。実を言うと、中学生にして「京大行きて~」と言っていたのである。しかし、私は地方の公立ヤンキー中学に通ってテニスを頑張っているだけの中学生だったから、「京大行きて~」と言うのは「宝くじあてて~」と言うのと同じような話なのであった。

 ところがどっこい、私は県内のトップ校呼ばわりされている高校に進学してしまい、シークレットブーツを履いて背伸びをすれば京都大学に手が届きそうになってしまった。一年生の時はみんなが東大志望みたいな学校だったから(現実を受け止めるとだんだんとその数は減っていく)、私は京大志望を名乗った。

 私の住む街が田舎過ぎて娯楽がなかったおかげで私は勉強くらいしかすることがなく、そのせいで成績を伸ばすことになる。進路を真剣に考えなくちゃいけない時にも、深く考えずに京都大学と書き、「なんで?」と聞かれると「憧れじゃないですか~京都」とヘラヘラしながらかわしていた。

 もはやこの時期になると、『四畳半』や『乙女』の具体的な内容を覚えておらず、なんとなく楽しいイメージを持っているだけであった。己が勝手に作り上げたイメージで京都を塗ったくっていたのだから、他の大学など志望候補に登るはずもない。滑り止めとして受けたのも同志社であったし。

 そしてなんか知らんが私は今京大に在籍しているらしい。

 

 『乙女』と『四畳半』を見て。内容を鮮明に思い出したけれど。

 『乙女』の方はまだ実感がない。そもそも主人公が恋しているのは後輩の黒髪の乙女だし、私は未成年だから飲み歩きたくてもできないし、NFはこれからだし、冬のパンデミックも同じだろう。地名が出てくると「あそこや~」ってなるのが面白かったけど。

 『四畳半』の方は見ていて辛かったというか、私もあんな感じのクソゴミ大学生に成り下がっているからやべえなと思えた。クソゴミ生活も楽しいからいいんですよ、でも何も残らんね。森見登美彦が書く世界に導かれて京大に来たのならああやって無駄に学生時代を送りに来たってことだからいいのかもしれないけど。

 

 大学生活はとりあえず無為でしかない。もっと真剣に将来を考える機会があれば、というかそういう機会はあったから、私がちゃんと将来を考える態度を取っていれば、ここにはこなかったであろう。法曹を目指して中央大学に行っていたかもしれない。(あそこには陶芸部があるよイエーイ!)

 諦観のおとこだから夢に向かって頑張る気になれない。そもそも俺は何になりたいんだ?という問いから逃げ出しながら毎日を無駄にしている。

 

ダイアリーア

 はてなダイアリーでダイアリーアについて書くとは夢にも思わなかった。クソ寒ダジャレ。ダイアリーアという単語は校内模試で出たから覚えている。「え~!?教科書でも出てきたから脚注つけなかったんだよ~?」と言われたのが懐かしい。

 教科書では国境なき医師団か何かについての記事で、途上国での子供の死因として多いのは何かという話の時に出てきた。下痢が上位に上がるのは馬鹿らしいと思っていたが、久しぶりに経験した今となっては馬鹿らしくないわ。簡単に人は下痢で死ぬ。便を出したくなくてもそれは出るし、同時に大量の水分も体の外へ。水分補給をしないと干からびて死ぬ。

 俺は徒歩一分の所にあるスーパーで電解質の入った飲料を買って狂ったように飲んでいるから幸いなことに干からびていないが、そういうものが容易に手に入らない人間というのは簡単に死ねる訳だ。こっわ。ほんまに。

 しかも食事を受け付けなくなるから、もともと栄養失調気味だった人は死ぬ。

 

 

つらいね

 「俺が女だったらお前とぜったいデートしないよ?」って言葉、わかってるんだけど、実際言われるとぐさりと刺さるわ。久しぶりに心が出血した。

 こういうことを言われると、おれに釣り合うのは「おれがデートしたくない女性」になるんじゃねえのかな、もし相手ができたとして、その時は相手に死ぬほど失礼だけど。どうでも飯田橋

即興短編『眼鏡』

 

じぶんでも何が書きたいのかよく分からなくなっちゃったし今日も疲れていてだめや

 

 

 

 

 

 

 源一さんは来週が誕生日でしたよね。目が悪くてしょっちゅう目を細めている源一さんに是非贈りたい物があるのです。日曜日、ちょっと付き合ってくれないでしょうか。

 志織

 

 下宿に帰ってくると、こんなことが書かれた紙切れが机の上に置いてあることに気づく。これを置いていったに違いない志織さんは、この下宿の大家である未亡人、鈴木さんの一人娘である。私よりも少し若く、女学校の高等科に通っており、朝は同じ時間に家を出る。

 女学生の間で流行っているとかいう、和洋折衷のはいからな格好をした志織さんは大和撫子と形容するに相応しいいでたちをしている。たおやかな黒髪、髪の黒さとは対照的な白さを湛える肌。小柄な体には矢絣模様の和服につけた袴がよく似合う。美人ながらもかわいらしさを兼ね備えているから、私は志織さんが好きだ。

 そんな志織さんは貧乏学生である私に、非常によくしてくれる。そもそも、財産家である鈴木家が私のような貧乏学生に住居を提供しているのは道楽のようなもので、おそらく鈴木さんと志織さんはこのまま一生働かなくても食べていけるだろう。道楽として私に住居を提供しているためか、家賃も驚くほどの破格である。

 家賃が破格なだけじゃなくて、志織さんが私によく何か買ってくれてしまうから、下手したらお金を貰って鈴木家の一室に住まっているとも言えるのだ。私は日々、勝手に肩身の狭さを感じながらこの家にいる。

 

 

 

 「源一さん、目が悪いのにそのままにして、帝大の授業で困ったりしないのですか。黒板の文字が見えないとか」

 隣を歩く志織さんが私に尋ねる。私は志織さんを見下ろす形になりながら答える。

 「そう、文字は見えにくい。だから私は最前列に座るのですよ。前に座れば見えないこともない」

 「そうでしたか。でも、やっぱり生活でも不便でしょう。だから今日は源一さんに眼鏡を贈りたいなと思って」

 眼鏡。地元に残っている兄弟たちのためにも、最低限の仕送りしか貰っていない私には決して手が届かない代物である。そんな眼鏡を、志織さんが。確かに、目が悪いのは不便である。人の顔もぼやっとしか見えず、くっきりと鮮明に見ることができる顔と言えば鏡に映った自分の顔くらいだ。それも、鏡に顔を近づけるだけ近づけて。

 目が悪いのは地元にいたときからだが、地元でも眼鏡を買うという考えはなかった。目が悪くてもこうして生活できているのだから、そんなお金があるのなら何ヶ月か分の食費にでも当てた方がいい、という考えだったためだ。

 でも、こうやって志織さんが誕生日の贈り物として眼鏡を買ってくれるという。彼女は、私が遠慮しないで済むように配慮してのことか、こうやって誕生日等々、何か理由をつけて私に贈り物をしてくれる。しかし、実は、私は貰った後すぐに実家に送ってしまっているものもある。これも、実家のため。しかし眼鏡はそうはいかないだろう。常にかけているべきものだろうから。

 

 志織さんの案内で眼鏡屋に到着する。眼鏡屋の親父に言われるがまま、私が目の検査をこなしている間に志織さんは私に似合いそうな眼鏡を選んでくれていた。もっとも、どれも変わらないというのが本音だったけれど。

 私の検査が終わると志織さんは会計を済ませて、「お誕生日に私がお渡ししますから、楽しみにしていてくださいね」と言って微笑んだ。

 

 誕生日になると約束通り、志織さんは私に眼鏡を持ってきてくれた。私は彼女に促されるままに眼鏡をかけてみる。

 ぼんやりとしかみえていなかった視界が急に鮮明になる。部屋の隅から隅までもがくっきりと、床に落ちている埃までもが認識できる。これまでは不定形だった世界に揺るぎない形が与えられた感じだ。

 「見え方はどうですか?……お似合いですよ」

 そして私は志織さんを見下ろしてみる。顔を上に向けている志織さん。くっきりと見える輪郭に顔のパーツ。ああ、こんな顔だったっけ。ついそう思ってしまった。

 不鮮明に世界を見ていた私は、見えていない物を頭の中で最高のもので補完していたらしい。これまでは見えていなかった志織さんは美人ではなかったし、家事を手伝う手は荒れ放題であった。

 美人でないからといって志織さんから心が離れることはなく、女は愛嬌、と私は思った。